hotaru no haka

高畑勲監督が亡くなった。

iphoneのニュース画面でその事実を知った時の気持ちは何と表して良いかわからない。

ただまたこの世から、この日本から偉大な人がひとりいなくなってしまったのだと、漠然とした不安が私を覆った。

世界は偉大な人物を失いながら歴史を進めてきた。彼らは後世を生きる私たちに何かを残す。

 

本日、金曜ロードショーにて、「火垂るの墓」が放映された。

 

”戦争の悲惨さを伝える”という意味で捉えると、間違いなく私の体にそれを刻みつけたものの一つである。

数年に一度はこの作品を見ることになるのだが、私の生まれる前の作品にも関わらず一向に古さを帯びないこの作品は、年々見方も変わってくる。きっとこれからもずっとそうなのだ。ただ、何度見ても鑑賞後の、心臓に石を埋められてしまったかのような重みはずっと変わらない。初めて見たのはおそらく小学校に入る前であった。どうにかして救われないのかと強く思った。いうまでもなく戦争の悲惨さを描いた作品であり、フィクションであれ大げさな話ではない。戦争は悲惨なのだ。何度見てもそこに救いはない。

 

高畑監督は「火垂るの墓」の製作後、「おもひでぽろぽろ」を製作している。しかし実は、この作品の間には諸事情によりお蔵入りとなった幻の作品があったそうだ。

日本のかの戦争における加害者としての責任を描いた「国境」を基にした作品を見ることはかなわないが、絶版になってしまったというその本をいつか読んで見たいものだ。

 

高畑監督の作品は他にもたくさんある。やりたいこと、表現したかったことがまだまだたくさんあったんじゃないか。

 

ああ、そうだ。

 

冒頭で書いた”iphoneのニュース画面でその事実を知った時の気持ちは何と表して良いかわからない。”という一文。

あれはきっと、「悔しい」であった。彼がこれから何を表現したかったのか私たちが知るすべはもう、ない。

 

しかし時とともに見方が変わる生き物のような作品が残されている。

 

見ねば。